こんにちは。
東京・吉祥寺にて、50代女性に向け「自分を知り、自分を表現する装いをご提案する自宅サロン」アンドレアを主宰しております、松前恵美子です。
最近まで、サロンコンセプトを「内面と外見がマッチする装いをご提案」と謳ってきましたが、
このたび「内面」という言葉を外しました。
私の考えている「内面」と世間で言うところの「内面」に乖離があると感じたからです。


今日は、そのあたりのお話をご紹介させていただきたいと思います。
お読みいただけたら嬉しいです。
「内面」に感じた違和感
外出自粛期間が長引いていた頃、
SNSなどでは「内面」という言葉をよく目にするようになりました。
私もサロンコンセプトに「内面」を盛り込んでいたので、どんな感じなのか読み込んでいました。
でも、だんだん違和感が大きくなっていったのです。
世の中のほとんどの人たちがコロナのせいで、外へ外へと出られなくなり、
「内面」という言葉がクローズアップされた感があります。
なぜ、こんなに自己中心的に感じるのか、ずっと考え、わかったことがありました。
そもそも私の考える「内面」は自分だけのことではないという事に。
私の考える「内面」と「外見」とは下記の図のような位置づけになります。
「内面」と言うと、この図の「自分の本質」だけを見ようとする視点が多いのではないでしょうか?
主語が「自分」だけに留まってしまう。
でも、本質って生活に根ざしたものだと思うのです。
内面にある生活のベースとは
生活の中には、家族や仕事、社会生活…すべてが含まれています。
そのベースは、本来自分を構成する一部分であり、切り離せるものではありません。
敢えて厳しい言葉を使うとしたら、
辛いことがあっても目を逸らすべきではないし、見ない振りは出来ないし、
逃げるべき時もあれば、立ち向かうべき時もあります。
それが「生活」そのものです。
生活に根ざした本質とは
人って一人で生きているわけではありません。
そして、周りが全員自分の応援者とは限らない。
自分の望みを叶えたい時ですら、我慢することも沢山あります。

受験勉強とか、何かの資格試験とかもそうですし、
子育て中に、夜泣きする我が子を抱きながら、途方に暮れることもあるし、
仕事で頑張ったのに、理不尽な理由で評価されないこともあります。
恋愛だって、好きな人から自分の望む通りの幸せが返ってくるわけではありません。
本質的には「勉強が嫌い」だったとしても、目標を達成するためには遊びを我慢して頑張ることも必要です。
それが生活であり、自分の好きなことばかりで生きていけるわけはないんです。
悲観的なことを言っている、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、56年も生きてくれば、皆必ずどこかの局面で通ってきた道だと思うのです。
清濁併せ持ち、悲喜こもごも起こるのが生活です。
だから、色々な方たちがこぞって言い出した「内面」という言葉の軽い響きに
「自己中心的」な気配を感じてしまうのだと思います。
内面=自分の本質ではない⁈
私が考える内面とは「自分の本質」そのものではありません。
内面とは「生活のベース」の上に成り立っているものである、という考え事を大切にしたいと思っています。
ちょっと自分のことを書きますね。
生活のベースは変化する。私の場合は?
一番わかりやすい例は、今回のコロナによる変化です。

私は5年前から、夫との二人暮らしになりました。
子供達が家から巣立ったのと、夫も仕事が忙しくあまり家にいない人でしたので、
私は自宅サロンを始めることが出来、両親への目配りもしつつ、比較的自由に過ごしていました。
夕飯作りも平日は自分の分だけで良かったので、ある意味楽をしていました。
その分サロンのお仕事に集中出来ましたし、やり甲斐も感じました。

その日常が180度変わってしまいました。
3月に入ってすぐ、夫の会社が『完全在宅』に舵を切ったのです。
出掛けるのも人に会うのも自由に暮らしていた私にとっては、
四六時中、夫とはいえ他人の気配を感じての生活は、非常にキツイものがありました。
たとえば…
夫は家事を全くしないわけではありませんが、お料理だけはしない人です。
それでも三食食べたいタイプなので、三食食べない(と言いますかそんなに食べない方が体調が良い)私にとっては非常にストレスに感じてしまいました。
「じゃぁ、作らなければいいじゃない?」と言われるかもしれません。
でも「作らない!!」と開き直るのも、サボっているような自己嫌悪ばかり大きくなり、これまたストレスでした。
ご飯を作るのも、作らず開き直るのも、ストレス…。
また、夫が家でオンライン会議をするので、自宅にお客様をおよびできない日が生じてきてしまいました。
そのストレスも大きかったです。
そのため、実は○○に10円ハゲが出来てしまいました⤵⤵⤵⤵
つまり、生活のベースが変わり、それまでの自分ではやっていけなくなったわけです。
そこで、新しいベースに順応するために考えに考えて、話し合いや歩み寄りも重ねて、新しいベースを作ったのです。
壊して逃げ出すのではなく、今までとはちょっと違う「新しい領域」を作ったのです。
サロンワークも、ZOOMによるオンラインレッスンの対応や
レンタルスペースを見つけたことで、解決しました。(感染がこれ以上拡大しましたら、レンタルスペースの使用は控えることにしております)
悩んだら、新しく自分を知り、整える
生活のベースを壊さずに=変化に巻き込まれたりせずに、
自分を見つめ直し、知って整えて、新しい自分の領域を見つけました。
その領域と、現在の生活ベースを統合することで
「新しい自分の本質」を認識し、大切にしようと思っています。
このプロセスを自分が出来たことで、私はとても楽になりました。
その状態で撮影していただいたのが、これらの宣材写真(一部)です。
新しくスカーフのメニューと、算命学のメニューを採り入れるため必要になり
いつものフォトスタジオSpiritさんに、撮影していただきました。

まだ10円ハゲは○○に鎮座しているのですが(笑)思いのほか柔らかい表情の自分に、自分自身が慰められた、思い入れの深い写真となりました。Spiritさんには、いつも感謝しています。
壊すことが必要なこともある
ただし、人生の中では逃げ出したり、壊したりしなければいけない局面もあります。
それは個々人によって違うので、一概に言える事では無いことは、重々理解しています。
実際に私の生きてきた中でも、一度だけそういった事象がありました。
ただ大筋のところで、私の場合は、壊すことよりも壊さない方を選び、その方が良いと感じている、という事です。
【算命学・四柱推命の命式により自分を知る】
自分を知る=内観ともいえる作業を、私がひとりでやり通せたわけではありません。
昨年から勉強している、算命学・四柱推命の命式と、師匠である大石瑛子先生のお励ましを糧に進めました。
算命学と四柱推命の命式は、生年月日時から作られる『自分のトリセツ』です。
それはもう見事なまでに語られます。
↑ ↑
こちらは私の命式です。って、ほとんど隠していますが、雰囲気だけ(^-^;
このA4の紙の中に、私が自分について悩んだり迷うことへの答えが、全て表されていました。

私にとって、算命学・四柱推命とは、「占い」とか「スピリチュアル」のようなフワッとしたものではなく
三国志の時代から受け継がれてきた、摂理を紐解く学問です。
私がお習いしているのは、「泰山流直伝 調候用神法」の読み方です。
私が初めて鑑定を受けた日の、ちょうど半年前くらいから、薬膳・マクロビオティックに基づくお料理を習い始めていたので、
陰陽五行の考え方に抵抗⁈がなかったことも大きかったと思います。
瑛子先生が繰り出す、
主観や現代風な意訳の全く無い、古来からの伝統に則った知識、
それでいて明快で簡潔な言葉で紐解かれる解釈にとても惹き付けられ、
鑑定を受けた3か月後には生徒にして頂きました。
月に一度、マンツーマンでのご指導を受けています。
※算命学・四柱推命については、改めて別の記事でご紹介させていただきたいと思います。
新しい本質を手に入れたら、新しい外見が見えてくる
今在るベースを活かしながら、より良い未来・生活を営むため、
自分をどう表現するか、を具体化したものが外見印象だと考えます。
この図式が、自分の中で確立したことで、
なおのこと「外見」って大切だな、と前向きに思えるようになりました。
外見を良い印象に寄せる助けになるのが、
パーソナルカラーや骨格診断、顔タイプ診断、メイクなどで分かる
客観的なデータに拠る「自分だけの魅せ方」であり
スカーフやアクセサリーの小物使いで叶う「装い力」であります。
お客様のお悩みが、この図の中のどこから派生してきたのか
しっかり受け止めて適切なアドバイスができるよう、
これからも精進したいと思っております!
まとめ
今日は、私が最近感じている「内面」の捉え方に変化があったので
どの様に考察を深め、現在のサロンコンセプトにリンクさせていったのかをご紹介致しました。
そして
自分の本質=生活のベース+自分を知り整え新しく見つけた領域
本質を支えている「生活」を壊さずに、自分も大切にする、という視点も意味あるものだと思うのです。
同じように悩む方の、参考になりましたら幸いです。
先月、自分自身の変化のさなか、悩みながらも書いた記事が、こちらです。
まだ1か月も経っていないのに懐かしい気がいたします。
まだ「内面」という言葉を使っていますが、見えているものは一緒なので併せてお読みいただければ、と思います。