破魔矢守がつないでくれた、鎌倉とわたし

こんにちは。

東京・吉祥寺にて、50代女性に向け「内面と外見がマッチする装いをご提案する自宅サロン」アンドレアを主宰しております、松前恵美子です。


前回の記事で、好きすぎる小説として「ツバキ文具店」をご紹介しました。

この小説の舞台となっているのが、鎌倉です。

私は鎌倉がこれまた好きすぎるのですが、その理由の一つには

幼い頃からの、祖父母が繋いでくれた縁のようなものも感じています。

今日はそんな思い出も、言葉にしてみようと思います。

お読みいただけましたら幸いです。

祖父と鎌倉と鶴岡八幡宮のお守り

現在私が暮らしている吉祥寺は、もともと母方祖父母の住まいでした。

私が横浜からこちらに引っ越してきてから、同じ敷地で16年間そばにいることが出来ました。

下の写真は、祖父の米寿のお祝いでの1枚です。

この日から8年後の1月に祖母が89歳で亡くなり、その7か月後の夏に、

まさに祖母の後を追うように祖父も亡くなりました。96歳でした。

二人とも、上品でユーモアにも富み、私は大好きでしたし今でも尊敬しています。

 

金婚式のお祝いにて、祖父母
米寿(祖父)のお祝いにて

 

その祖父が、無類の鎌倉好きでした。

祖母も、伯母様の家が現在の鎌倉文学館近くにあったそうで、
少女時代によく遊びに行ったお話を聞くのが、私は好きでした。

新年会と八幡宮の破魔矢守

毎年1月3日に、家長である祖父の家で親戚が一堂に会し、新年会をする習慣がありました。

その日だけは、普段閉じている正門が開き、表玄関から家に入ります。

そして到着した順に、きちんと応接間で祖父にご挨拶し、大福茶(おおぶくちゃ)をいただくのがしきたりでした。

その際、祖父は紬の袂から、一人ひとりに鶴岡八幡宮のお守りをくれたのです。

男には黒い、女には赤い破魔矢守。

そして受験や就職などの節目を迎える子供達には、仕事守・合格守・学業成就守などそれぞれに則したお守りを添えてくれました。

当時、親戚は大人子ども合わせて、30人はいたと思います。

その全員の破魔矢守は、必ず欠かすことなく用意されていました。

祖父は毎年末、吉祥寺から鶴岡八幡宮でお守りを揃え、

その足で、うなぎ屋さんに寄ったり、お汁粉屋さんに寄ったり、鳩サブレをお年賀用に揃えたり、

ついでに横浜そごうで、来る年の為の靴を新調し、大好物だった草加せんべいを買って帰る、という習慣を守り続けました。

結婚前まで横浜に住んでいた私は、2度ほど鎌倉にお供した覚えがあります。

その際、自分の子や孫のみならず、弟や妹たちの子や孫の節目もちゃんと頭に入っているのには、脱帽したのを覚えています。そしてそんな祖父が誇らしかったです。

 

そして私がその習慣を引き継ぎました

また、祖父は曾孫である私の息子達を、とても可愛がってくれました。

もちろん破魔矢守も揃えてくれていました。

90歳くらいまでは、叔父が付き添い鎌倉まで行っていましたが、

晩年の数年は足元が覚束なくなり、さすがに鎌倉行は諦めざるを得なくなりました。

そして亡くなった翌年からは、破魔矢守がないのがなんとも心もとなくて

私が息子達に鶴岡八幡宮までお守りを揃えに行く習慣を、勝手に引き継ぎました。

自分がクリスチャンだとか、そんなことはまったく関係なくて、

物心ついた時から必ず肌身離さず持っていたものが、途絶えてしまうことに慣れなかったのもあります。

彼らがいつか家族を持ったら、数が増えていくお守りを、元気に末永く揃えたいものです。

祖父から引き継いだ「お守りをいただきに行くときの決まり」は、こんな感じです。

まず鎌倉駅に着いたら、どこにも寄らず段葛を二の鳥居から通って、八幡様を目指します。

そして古いお守りを納めてから、正面の石段を登りお参りをして、破魔矢守とお守りをいただきます。

それからはお楽しみ!

お食事したり、祖父の贔屓だった「納言志るこ店」に必ず寄ったり、今はどこでも買えるけれど、鳩サブレを本店で買ったりしながら、帰宅するのです。

 

鶴岡八幡宮境内

 

上の写真で、石段の横の榊で囲まれているのは、

2010年3月10日未明に強風で倒れてしまった、ご神木の大銀杏です。

今はプロの方の手当の甲斐あって、倒れた樹の切り口から、すくすく若木が育っています。

毎年のお参りで、若木の成長具合を見るのも楽しみの一つです。

お正月の賑わいはこんな感じ

 

※画像は2枚ともHPからお借りいたしました。

 

そして自分オリジナルの鎌倉になっていく

今の私は、せっかく吉祥寺から訪ねるので、

北鎌倉に足を延ばしたり、江ノ電に乗って長谷や極楽寺界隈を歩いたり

お正月だけでなく、折々訪れ、自分なりのオリジナルルートが出来上がっていきました。

学生時代の友人が江ノ電沿線に住んでいるので、

友人に地元の方ならではのハイキングコースを教えてもらったり、

どんどん行きたいスポットが増えていきました。

そんな時に、「ツバキ文具店」を読んだのでした。

今では、お正月八幡様に行った折には、鎌倉宮まで足を延ばしたり

お気に入りの文具屋さんをのぞいたり。

帰りは江ノ電に乗って、稲村ケ崎や七里ガ浜あたりから海に出て、江ノ島と富士山と夕陽を眺めて

一駅ぶん砂浜を歩いてから、藤沢経由で帰宅したりしています。

この写真は、冬の海岸から江ノ島を見た写真です。綺麗でしょう?

ここから見る夕暮れの富士山のシルエットは、本当に美しいです。

もう私も住みたいくらい、大好きな場所です。

瑞泉寺と紅葉ヶ谷(もみじがやと)に慰めを得た日々

もう一つ忘れられないのは、瑞泉寺の思い出です。

音楽大学を卒業してしばらく経った頃のことです。

私が目指したい方向全てに、真っ向から母が反対し辛かった時がありました。

母が私の行動に規制をかけるのが息苦しく、架空の仕事(当時続けていた音楽教室の講師)があるフリをして、毎週のように鎌倉界隈を歩いていました。

なぜ鎌倉だったかと言えば、祖父がくれる破魔矢守が常にお財布に入っていて、自然と足がそちらへ向いたのでした。

そんなある日、瑞泉寺の紅葉が見頃だと新聞か何かで知り、初めて瑞泉寺まで足を延ばしました。

瑞泉寺は鎌倉宮のさらに奥にあり、とても静かな佇まいでした。

そして、このような美しい景色が広がっていたのです。

お寺の周囲の山々の紅葉が借景のように重なっていて、それはそれは見事でした。

瑞泉寺山門の紅葉

 

このあたりの谷合を「紅葉ヶ谷(もみじがやと)」といいます。

境内の紅葉と紅葉が谷の紅葉が折り重なり、本当に綺麗でした。

思わず見とれてしまったのと山門へ続く参道の趣も素晴らしくて、

それからは毎週のように行っていました。

 

参道

 

山門

 

境内の奥には有名な石の庭もあり、四季折々の花々と共に、時間を忘れて眺めていました。

辛かった私にとって、大きな慰めとなった時間でした。


ただ、その頃は本当に苦しい時期で、結局は自分の夢を持ち続けることが出来ず

母の言う通りにすることしか出来なかった自分でしたので、

美しい景色に慰められたのに、このお寺の思い出はとても苦いです。

なので、最近も鎌倉宮までは行けても、その先にはどうしても行けないままでした。

もうあれから30年も経っているというのに。

ところが、前回ご紹介した「キラキラ共和国」の中に、紅葉が谷のさらに奥にある「獅子舞」という名所が出てくるのです。これは「苦いままにしてはいけない」との事だろうと思い、今年の紅葉の頃に思い切って訪ねてみようと決めています。新型コロナが終息していればの話ですが、今から楽しみにしています。

※瑞泉寺の画像は全てHPからお借りいたしました。

非日常そのもの。天空のカフェ 樹ガーデン

こちらのお店を知ったのは、数年前の偶然でした。

葛原岡・大仏ハイキングコースを歩いていて、突然この看板が目に入ったのです。

「なんだろう??」と階段を下りていき、パラソルやテーブルが目に入ってきた時には

日常ではない空間に迷い込んだような、なかなか味わえない感覚を覚えました。

入口は二つあり、

葛原岡・大仏ハイキングコースからと、鎌倉市役所前の通りを20分ちょっと歩いた先にあります。

葛原岡・大仏ハイキングコースは、北鎌倉の浄智寺脇から源氏山~大仏トンネルを結ぶ、ハイキングコースです。

ハイキングと言いつつ、なかなかな山道を進む本格的な森の中を行くコースです。

なお、2020年5月現在、昨年の台風の影響により封鎖中になっています。開通したら、また是非歩きたい山道です。

 

決して展望が良いわけではないけれど、

山の中で森と花の溢れる中、聞こえるのは風に揺れる葉音と鳥のさえずりのみ。

文庫本でも持って、ゆったり一人で過ごしたり

気のおけない友人との語らいにピッタリの空間です。

ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。お勧めです。

※画像はHPからお借りいたしました

おわりに

今日は、幼い頃から毎年祖父がつないでくれた、

鶴岡八幡宮の破魔矢守から始まる、鎌倉とわたしのお話をご紹介いたしました。

吉祥寺から2時間もあれば行ける、大切な場所です。

実は私には叶えたい夢があります。

それは…

鎌倉に住みたい!

今日ご紹介した以外でも、好きな場所やお店は沢山あります。

山も海も街並みも。

なにもかもが好きな鎌倉に住める日を必ずや実現いたします。

今日もお読みいただきありがとうございました。

こちらの記事も是非ご覧ください。

 

最新情報をチェックしよう!